今日の天気は快晴。昇りはじめの太陽は、遮るものが無いのをいいことに、暑くなるような光を振りまいている。
指先で小さいダイヤルを少しずつ回す。その度に手の中の機械は、ざあっ、ざあっと何だかむず痒くなるような音を発する。ケイは辛抱強く微調整を続け、ようやく雑音が消えるところを見つけた。
『……れでは、……の空模様……』
「まだ微妙だな」
ほんのちょっとだけ、ダイヤルをに力を込めて。
『……第一空区の外気温は11度。外気圧は670ヘクトパスカル。風は、現在は北西からレベル1の風です……』
ケイは満足げに頷いて、座っているベンチに機械を置いた。背もたれに体を預ける。
短く切りそろえた灰色の髪に、漆黒の瞳。細身の体に白い特殊スーツをまとって、首に白いフレームの飛行用ゴーグルを下げていた。
『……本日は1日を通して快晴でしょう……』
上を見上げれば、視界に収まりきらない青が見えた。白い雲はぽつりぽつりとあるだけの、距離感が崩れるような壮大さ。この光景を見ると、空の上に住んでいるのを実感できる。
空色は冷たさの印象があるけれど、こうしてぼんやりと眺めていると、包み込んでくれるような気持ちになるから不思議だ。
『……午後からは、層積雲が第三空区に重なるようです。移動の際は注意して……』
知っておきたいことは分かったし、もう消そうかと考えていると、
「おはよ!」
「うわっ」
青空の手前、視界の上に、ひょこりとピンク色のゴーグルが見えた。ケイは小さく跳ねて顔の向きを変える。くるみ色の髪と大きな瞳、眩しいような笑顔が目の前にあった。
「あはは、驚いたでしょ~」
「そりゃそうだ……おはよう、アユハ」
上から逆さに覗き込んでくるアユハは、にんまりと笑ってからベンチを回り込んで、ケイの隣にちょこんと座った。額に上げていたピンクのゴーグルを首まで下ろして、
「これ直ったんだね」
アユハが小さな機械を手に取って言う。いつの間にか番組が切り替わっていて、ジャズ風の音楽が控えめな音量で流れていた。
「一回ダイヤルをずらしたら、元に戻すの大変なんだぞ。分かってんの?」
「だって気になるじゃん! 今どきそんな昔の使ってる人なんてケイくらいだよ」
「いいんだよ、使えるんだし」
確かに、今ではこれよりも小型の情報端末なんていくらでもある。それでも、ケイはこの機械を手放したくなかった。
「そういえばさ、その機械、ダイヤルの最後の方に変な音が聞こえるところがあったよ。じーじー、みたいな」
「あぁ、それは俺にもよく分からん」
「ふうん、変なの」
遙か遠くの空で、二羽の鳥がその羽根を羽ばたかせた。
「ねーねー、ケイはさ、何してるときが一番好き?」
「は? うーん」
いきなりの問いに、ケイは少しの間、口に手を当てて考える。
「空を眺めてるとき……かな」
「へぇ、意外だなー。戦ってるとき、とか言うかと思ったよ」
「俺はそんなバーサーカーじゃないぞ」
「冗談だって!」
そう言ってアユハは笑い、その目を細めて彼方の空を静かに見すえた。
「私はねー、空を飛んでいるときだよ。何でも見えて、何でも分かって、何でもできるような気になれるんだ」
何でもできると言うあたりが、アユハらしい、とケイは小さく笑った。
*
ぴっ、と、小さな電子音。
聞こえたのは、首にかけたゴーグルから。アユハもそれは同じらしい。
「行かなきゃ」
「ああ」
二人同時に、立ち上がる。
「そういえばさ」
屋上から階段を降りて、ビル群が見える窓を横目に長い廊下をひたすら走る。
「なに?」
「ケイのスーツの修理って終わったの?」
「ああ」
応えてケイは自分の体を見下ろす。白を基調とした戦闘用特殊スーツ。技術班からの提案で試験的に作られた、改良型。
アユハが着ているものと見比べれば、既存型との違いはよく分かる。なめらかな生地に鋼色のプロテクトアーマーのようなものがいくつか取り付けられているのは同じだが、その数が大きな差だ。
「それでも、まだ完全に直ってないとは言われた。一昨日の右足の壊れ方を見たら、当然だと思ったけどな」
既存型は、両腕と、背中を覆うように一つ。改良型はそれに加えて、両足に二つずつと、腰周りにも取り付けられている。内部機能にも大きく変更が加えられていて、アユハには必要の無いものではあるが、ケイの戦い方には相性が良い。
「あれはケイが無茶しすぎだよ! あれ以上突っ込まなくても、私が狙えたのに」
「性能を把握するのも大事だろ」
「怪我しない方が大事!」
へいへい、とケイは呟く。武器庫のある部屋にたどり着いて、棚から自分の武器を手に取った。手に馴染むグリップと、その上に伸びる四十センチほどの長方形のバレル。全体を鋼色に包まれ、ずしりと重みを伝えてくるそれは、
「よし……やるか」
ナノロケットライフル。空中戦闘特化仕様。
それを二丁、太ももに装備してケイは振り返る。その先ではアユハが、背の丈ほどもありそうな黒い箱を持って待っている。
「あんまり突っ込まないでね」
「……分かったよ」
そのまま隣の部屋へ。大広間のようなその場所には、全部で八人の隊員がすでに集まっていた。ケイと同じようにライフルを装備しているのは七人、アユハと似た黒い箱――サイズはアユハのものに比べて半分ほどだが――を持っているのは一人いる。
「全員来たな」
部屋の奥で、よく通る声がした。
戦隊長だ。ケイと同様に二丁のライフルを持ち、厳格そうな表情を黒縁のゴーグルで隠している。
「先程確認した。エリアサードで発生した熊型だ。基本戦術に変更は無し。今回も戦闘開始後の指揮は、アユハ=アルビナ。手伝って貰うぞ」
「了解です」
アユハがそう返事を返す。それが彼女の役目だ。
いや、それも、と言った方が正しい。そもそも戦闘での指揮は戦隊長が担うのが普通だが、アユハだけはその特異なポジション故に指揮権を分けられている。アユハの最大の役割は別にあり、それがなくては戦闘が成り立たないほどだ。そのために、ケイはアユハから無茶をするなと散々言われているのだが――。
と、ケイが何となく考えていると、戦隊長から視線が向けられた。
「ケイジ。分かっているな。無茶をするな」
「……分かりました」
とりあえずの返事。
それから、ケイたちはエリアサードに向かう。
ふと見上げた空には、遠い彼方から灰色の雲が近付いてきていた。