AsahiーSPACE

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セカンド・スカイ 2

第2話

 

 ――起動テスト。

 思考コマンドを受け取って、纏うスーツが目を覚ました。

 ゴーグルのレンズ部分にホロウインドウが表示。狭かった視界に補正が掛かって拡張され、更に隊服に組み込まれた各種機能のステータスが映し出される。

 その内、二つの数値がゼロから小さく上昇。同時に両足首と両足裏に震えを感じた。

 大きく強い力で、しかしゆっくりと体が上に押し上げられる。まるで地面が盛り上がるような感覚で。

 体が宙に浮かぶ。何者にも支えられることなく空中に立つケイは、少し高くなった視点から立ち並ぶビル群を見下ろした。

 

 

 スーツ統合型ナノロケット――呼称《エアウォーカー》

 

 ナノロケットという技術。

 おそらく、死雲の脅威が無かったとしても、人類はいずれこの技術を完成させただろう。人類の空への探究心は、気球から航空機、果ては空を超える宇宙にまで手を伸ばした。ナノロケットというのはその中の単なる研究の一つであったが、死雲の脅威に背中を押されてほとんど全ての研究機関がそれぞれの研究を放っぽり出し、結束、協力してナノロケットを開発、実機実装までやり遂げた。

 

 ナノロケット。正式名称、プラズマ推進式超小型ジェット。

 その外見は手のひらサイズの筒状の直方体。中を流れる電流が特殊な電界を作り出す。加えてこの筒状は空気を通すためのものであり、吸い込む側の空気はプラズマ化される。電界を通ると、その膨大なエネルギーが増幅して放出され、それはナノロケット全体を動かす速度に変換される仕組みだ。

 簡単に言ってしまえば、空気を電気で動かしているだけである。

 しかし、そのメリットは絶大だ。なんせ石油などの地下資源は二度と手に入らなくなってしまった今、使えるものは電気くらい。雲すら浮かばないほどの高高度に配置した、発電設備専用の空区で太陽光発電された電気が、人類に与えられたエネルギー源の柱だ。

 電気さえあれば、あとは周りにいくらでもある空気を使って移動できる。そういうわけで、ナノロケットは人類の救世主となって、空飛ぶ車やバスなどのたくさんの場面で活躍している。

 

 エアウォーカー。

 これが、ナノロケットを利用して作り出されたスーツ型の移動手段である。

 特別な素材で作られた全身を覆うスーツと、その各部に取り付けられたナノロケット。両腕に一つずつと、背中にいくつか付けられ、足の裏にも形状は違えど同じ役割をするナノロケットがある。プロテクトアーマーのようにも見えるだろう。

 それぞれのナノロケットはシステムで統合制御され、望む方向に進むために速度や噴射方向をコントロールされる。

 

 ――つまり、人類は生身で空を飛ぶことができるようになった。

 

 そうして数年――。エアウォーカーに、それまでは想像すらされていなかった『戦闘用』が開発されたのは、その必要が出てきたからである。

 

              *

 

『ケイ、気を付けて』

「そっちもな、アユハ」

 ゴーグル内蔵の通信機越しに、短く言葉を交わす。もう作戦は始まっているのだ。

 戦隊全員で第一空区を出て、向かう先は地上だ。人類の新しい定住の地――空に浮かぶ巨大都市を離れて、炎と死が待つ地獄の地上へと。

『そろそろ目標が真下に見える。前衛部隊、降下するぞ』

 戦隊長から降下命令。従ってケイはエアウォーカーの噴射方向を変え、一気に高度を落とした。生身の体で、落下しているほどの降下速度。ゴーグルに表示される高度計が、カウントダウンをするようにどんどん数字を減らしていく。

 小さな人間の体で空の空気を、時には薄い雲を切り裂きながら、びゅうびゅうと鳴り響く音すら後ろに置き去りにして、落ちて、落ちて、落ちていく。

「見えた……!」

 眼下に広がる真っ赤な大地。――その、中に。

 のっそりと動く、影があった。

 

 ケイのいる前衛部隊と、アユハのいる後衛部隊では、そのポジションで離れている距離が天と地ほどもある。文字通り。

 ケイたちが地上に向かって降下している間、アユハは黒い箱を持ってひたすら水平に飛んでいた。後ろには、もう一人の黒箱持ちがついてくる。高度を変えることなく横の移動を続け、ある座標に到達したところで、少しずつ降下を開始。そこは今回の作戦目標の、その真上。

 後ろの隊員から、通信が入る。

『アユハ。目標の南西に、使えそうなビルがあったわ。私はそこで準備する』

「わかった」

 後方から聞こえる、もう一人のナノロケットの噴射音が遠ざかっていく。ここからは別行動だ。アユハの視線の遙か先に、小さく蠢く影が見える。ここからは遠すぎて小さく見えているが、実際はかなりの巨体のはずだ。

 ――このあたりか。

 アユハは移動をやめた。このポジションが、アユハの力が最も発揮される場所である。

 目標の真上。標高一千メートル。

 手に持っていた、黒箱を展開。

 

 

「――……こいつは……でかいな」

 ケイはそれを間近に見て、息を呑んだ。

 死雲に侵された大地。その炎の熱と腐食性に、地上の建物はこれまでの年月の間にゆっくりと溶けて崩れて、今はあちらこちらに辛うじて立っているビルやタワーが残るのみ。

 その内の一つ――もうほとんど崩れかけの、斜めに傾いた銀色のビルの屋上に、ケイは立っていた。

 他の隊員は作戦のために左右に離れ、それぞれ他のビルの上に配置についている。

 それを眺めて確認して、ケイはもう一度、今回の作戦目標を見すえる。

「これが、熊型か。初めてかな」

 もぞもぞと動く、その巨体。

 全高は五十メートルありそうだ。横幅も大きく、膨れ上がった体とそれを支える太い四本足。頭も巨大で、突き出た鼻の下で、大型トラックも丸呑みできそうな大口を開け、吠えた。

「ゴアアアア!!」

 ……熊ってこんなふうに吠えるっけ、と思いたくなる。まるで映画で見た恐竜の咆哮だ。

 それは、超大型の熊だった。

 ただ、形状は似ているが、体の表面は見知ったものとは大きく異なる。表面は――赤黒く燃えていた。死雲に埋め尽くされた地上を悠々と歩けるその理由。熱も腐食も意に介さず、その威容を見せつけられる。

 ずっと前に聞いた戦隊長の言葉を思い出す。

 ――おそらく、あの怪物の体は凝縮した死雲で構成されているのだろう。

 多分、その仮説は合っている。ケイ自身これまで何度か他の怪物と対峙してきたが、戦闘のために接近すると、嫌な匂いがするのだ。

 これに近付いてはいけない、これに触れてはいけない――。理屈では分からない、直感のような。その匂いは、地上の死雲に近付いたときと、同じ匂い。

『全員、準備はいいか』

 戦隊長から通信が入る。仲間の次々から準備完了の声が上がり、それを聞きながらケイは自分の思考をリセットした。

 ――怖いか?

 己に問いかける。

 これからあの強大な怪物と対峙する。相手、フィールドともに触れるだけで即死するようなこの状況で、それでもあの化け物に立ち向かう。

 そこまでするのは、なぜか。

 ――人類を守るため?

 違う。他の隊員はそういう理由で戦う者もいるだろうが、ケイにそんな立派な考えはできそうもない。

 ――元の大地を取り戻すため?

 一瞬、アユハの顔が頭に浮かんだ。……けれどケイは、それも違う。大地が失われようと戻ろうと、それに関心を持つことはない。

 ――俺が戦うのは、俺のためだ。

 

 自分の運命を知った時、ケイは自分の生き方を決めた。

 自分の生まれを知った時、自分がここで生きるためには、戦うしかないのだと悟った。

 

 ――だから、怖いなどという感情は、あり得ない。

 長い間思考に潜っていた気がしたが、実際は一瞬だったらしい。隊員たちの応答がそこで途切れ、残りはケイだけだった。

 瞳を閉じ、口を開く。

「準備完了」

『では、作戦を開始する』

 

 

 ケイは目を開けた。そこにあるのは、真っ直ぐに目標を射貫く、矢のような眼差しがあるだけだった。

 息を吸う。戦闘開始を示すコマンド。

「ジェネレート・テイクオフ!」

 ぶるり、と背中が震える。

 背中を覆うように付いていたナノロケットの、その内側。そこから左右に飛び出たもの。

 ばさり、という音が、聞こえた気がした。

 鋼色の――一対の翼。正体は無数の小さなナノロケットだ。それが組み合わさり、折りたたまれていた羽を広げたように展開される、戦闘用エアウォーカーの最大の機能。

 小さなナノロケットの一つ一つはまるで羽。けれど鳥などは比較にならない飛行能力を備えた、機械仕掛けの大きな翼。

 手を伸ばし、グリップを掴む。

 太ももに装備していた、ナノロケットライフル。両手に二丁、確かな重みを感じ取ってケイは前を向く。

 視線の先、唸る怪物に睨みを返し、ナノロケットの出力全開で飛び出した。