AsahiーSPACE

朝日 遊 による、小説用ウェブサイトです。コメント等はお気軽にどうぞ!

りんごさん(4)

 それからゴールデンウィークが始まるまで、四日ほどしかなかったと思うが、僕にとっては今までで一番長い四日間だった。

 

 何かをしているときも、何もしていないときもずっと、りんごさんと雪葉のことを考えていた。あの日、二人とそれぞれ交わした会話を最後に、僕の中の時は止まったままだ。

 一日目を僕はたったひとりで過ごした。りんごさんにも会わず、電話もなく、大学で雪葉とすれ違うこともなかった。ひとりで講義を受け、ひとりで昼食を食べ、ひとりでアパートに帰った。二日目は「おいしいお店」を探して街に出た。二人で静かに話ができる店がいい。僕はうろうろ歩きながら、隣に座るりんごさんと、向かい合って座るりんごさんをかわりばんこに想像していた。三日目、僕はひとりでベッドの中にいた。りんごさんの唇の柔らかさと、彼女の体のあたたかさを思い出していた。一度思い出してしまうと抗うことができず、強風の中で傘を開いたときのように、その衝動は僕を吹き飛ばしていった。

 四日目はひたすら本を読んだ。僕はもうりんごさんたちのことを考えたくなかったから。けれどいつもは没頭できる本でも、今はまったく楽しめなかった。自分でも気づかないうちに、登場人物にりんごさんや雪葉や僕を当てはめてしまっている。僕は今までになく苦労しながら、修行僧みたいにページをめくり続けた。

 

 ゴールデンウィークの最初の祝日で、僕はやっとりんごさんのアパートに足を向けた。

 スポーツバッグに着替えを二着と歯ブラシとタオル、読みかけの本、マンガ、レンタルしてきた洋画三本、パーティー用のスナック菓子、カップ麺をすべてパズルみたいにして詰め込み、三センチずつ時間をかけてチャックを閉め、海ガメのように背負って部屋を出た。朝が早かったせいなのか、外の街はあたたかさを欠いている。長袖シャツではわずかに寒い。でも背中の荷物は重いし、りんごさんのところへ着けばあたたかいものと出会えると思うと、火照りが体の内側から生まれてくるようだった。僕は彼女の部屋にあるベッドを求めた。実家に帰省する学生と同じだ、とふと考える。りんごさんの部屋こそが僕のもともといた場所なのだ。

 歩道を歩く人はまばらだったから、目的地まで一直線に歩くことができた。みっつ角を曲がり、ふたつの交差点で横断歩道を渡った。歩行者信号はすべてちょうど青だった。アパートに到着し、一回ドアノブを握った手を離してインターホンを押す。

 りんごさんは出てこなかった。僕は合鍵を使ってドアを開けて、十センチくらいの隙間から「りんごさん」と呼んだ。それでも返事がない。あまりに原稿に集中しすぎているのだろうか? 僕は部屋に入ってドアを閉め、「入るよ」と声をかけた。ワンルームのりんごさんの部屋は、入って手前にキッチンやバスルームがあり、奥に扉を一枚挟んで生活部屋がある。キッチンの床には空のペットボトルや何かの袋が散乱していた。ガス台には水を張った鍋だけがあり、まな板の上には切りかけのニンジンがある。ちらりと炊飯器を開けると、炊いたご飯がほとんど手つかずで残っていた。いつ炊いたものなのか、ちょっとわからなかった。

 僕は床に転がるペットボトルを踏まないようにカニ歩きで進み、奥の部屋へ通じる扉を開けた。正面に大きな窓、その手前にちゃぶ台ひとつ。そこに、ちゃんとりんごさんはいた。

「りんごさん」

 りんごさんは泣いていた。僕に背を向けたまま、肩を震わせて泣いていた。駆け寄って、どうしたのかと聞いても僕の方を見てくれなかった。りんごさんが手を振り下ろして僕を遠ざけようとする。僕はその手を強く握って離さないようにする。ようやくりんごさんが、僕の顔を見てくれた。

「どうしたの。りんごさん」

「……ちょっと、悲しくて」

 そう声を絞るりんごさんは、まるで迷子になった小学生だった。りんごさんは大事な何かを見失って、それでひとりで泣いているのだ。この狭いアパートの中で、どこにも進めず、戻ることもできずにひとりぼっちなのだ。もうここに雪葉はいない。ゴールデンウィークが始まり、ここにいるのは僕たちだけだった。